2010年 11月 27日
私の祖母の名前です。 戦後、女手ひとつで、沖縄から出てきて、 足踏みミシン1台から出発して洋品店を立ち上げ、 近隣の小学校やら中学校の体操服の代理店になったり (来る日も来る日もブルマーを縫ったそうです) 地域の衣類は全て作る、くらいの勢いで働いて、 家を何軒も建て、 母を育て上げ、 50代の時、大学の美術教授のおじいちゃんと再婚して (結婚式の時、幼稚園生だった私が「やまぐちさんちのつとむくん」唄いました) きっぱり店をやめ、 じいちゃんと日本中、そして海外のあちこちも旅をして回り、 すごくラブラブで。 (このおじいちゃんが最高で、アロハシャツやベレー帽が似合う超お洒落な人でした) そのおじいちゃんを見送った後しばらく元気がなかったけれど、 それからまた20年近く、 やっぱり彼女は働き者で、 曲がった腰でもヒマさえあれば庭の草むしりをいそしみ、 デイサービスでは人気者で、 一人暮らしをしていても訪ねてきて下さる人が絶えなくて。 「ありがたいね、ありがたいね」といつも言っていて。 そんなキクちゃんです。 初孫の私を溺愛していて、 赤ちゃんの頃、鼻風邪をひいて鼻をティッシュでかんだら赤くなって可哀想だからと、 私の鼻水を口で吸ってくれていたという、すんごい逸話もあります。 だからか、私ももちろんキクちゃんを愛していて、 幼稚園、小学校、少なくとも1ヶ月に1度は手紙を書いていて、 それをキクちゃんはすべてファイルに貼付けていました。 そのファイルを、私の娘達に見せたがるもんだから困ります。 5年生のとき反抗期だったらしく、キクちゃんに「お母さんの事が好きだけど生意気を言ってしまう」と相談の手紙を書いていました(笑)。 何でもキクちゃんに書きたかったのだと思います。 けれどもきくちゃん、 私の事に関しては世界一心配性なので、 高校生の時の手紙に彼氏が出来たとか、そう言う事は控えていたみたい(笑)。 先日20日、きくちゃん、87歳の誕生日を迎えるにあたり、 米寿を祝うため、 沖縄から、東京から、そして広島から(私達)親戚が集まりました。 ひ孫の私の娘達、この日の為にずっと毎晩練習していた、 けん玉とお手玉、組体操を披露しました。 うちの親族も少子化で(汗)子ども、というだけでもてはやされてるので、 この出し物は大人気でした。 夜中まで、叔父、叔母、いとこ、妹、父、、、 飲み明かしました。 20数年ぶりに会えたいとこや、妹にも4年ぶりに会えて、 それも、きくちゃんの「お祝い事」で会えるなんて、 なんて嬉しい事なんだろう。 これからは100歳を超えるまで、毎年このお祝いをしよう! と盛り上がりました。 今、世の中には、いろんな事がある。 経済的、物質的に豊かになっていても、心が寂しい人が沢山いる。 じぶんがいなくったって、誰も困らないや、と思ってしまっている人が沢山いる。 私が、万一何かの運命できくちゃんより先に逝ってしまったら、 きくちゃんは絶対生きて行けない。 そう確信できる強い無条件な愛を、与えてくれてありがとう。 そういう愛を、今思い浮かべられない人でも、そんな事は決して無くて、 この先、生き続ける事で、ぜったい「生を受けた意味」が分かる時がきっとあると。 きくちゃんの苦労は並大抵のものではなかったはず。 もしきくちゃんがこうして頑張ってくれていなかったら、 私もいないし、 娘達もいないし、 「あんたら独身ばっかりやん!」って 笑って突っ込み合えるいとこ達と飲み明かす夜も無かったし。 だから、何が言いたいのか分からなくなってきましたが、 心からきくちゃん、ありがとう。 絶対に絶対に長生きして下さい。 そして、苦しい気持で生きている人たち、どんなことがあっても生きていて欲しい。 ちょっとプライベートな日記になりすぎましたが。 長い文、読んで下さってありがとうございます。 なお。
by marrublog
| 2010-11-27 22:53
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